文字サイズ
標準
拡大
  • X(旧Twitter)
  • Instagram
  • Facebook
閉じる

アンチ・ドーピングの歴史

社会におけるスポーツの位置づけが変化するにつれ、ドーピングについての認識も大きく変化してきました。

ドーピングの起源から蔓延

ドーピングという単語の起源は、アフリカ南部の原住民カフィール族が祭礼の時などに飲む強い酒「dop」にあるといわれています(諸説あります)。スポーツの世界では、1865年のアムステルダム運河での水泳競技でドーピングが行われ、1886年の自転車レースでドーピングによる最初の死亡例が報告されています。 その後、1980年代まで、オリンピック種目以外の各競技種目の国際競技大会では、アンチ・ドーピングに関して、統一に適用されるルールや、競技種目間で合意された禁止物質の取り決めはありませんでした。この時期に、様々な競技種目において競技力向上を意図した薬物の使用が広がっていったといわれています。

各スポーツ、各国における独自のアンチ・ドーピング活動

スポーツ界において、初めて禁止物質を規定したのは国際陸上競技連盟でした。1960年のローマ・オリンピック競技大会において、ドーピングによるアスリートの死亡事故が発生したことを受け、ドーピングを取り締まる動きが起こりました。1966年には、サッカー、自転車競技の各世界選手権でドーピング検査が導入されています。また、国際オリンピック委員会は、スポーツにおいて禁止する物質のリストを定め、1968年グルノーブル冬季オリンピック競技大会、メキシコ夏季オリンピック競技大会からドーピング検査を開始しました。
しかしながら、当時は、競技種目や国・地域を越えて統一されたルールは存在していませんでした。そのため、アンチ・ドーピングのルール違反に対して、競技や国によって異なる制裁が科されたり、禁止される物質も定まっていませんでした。
競技種目、国や地域を越えた横断的な協働関係が構築されたのは、1999年に世界アンチ・ドーピング機構(WADA)が設立されてからとなります。

世界的なアンチ・ドーピング・ムーブメント

フェアでクリーンなスポーツを守り、スポーツを世界共通の文化として発展させていくために、競技種目や国・地域の違いを超えて、統一したアンチ・ドーピングルールが求められるようになりました。 活動の中心にいた国際オリンピック委員会(IOC)においても、より透明性と中立性を持った世界的なアンチ・ドーピングの枠組みが必要であるとの合意に至り、1999年2月の「スポーツにおけるドーピングの防止に関する世界会議」において、IOCから独立したアンチ・ドーピング機関の設立を表明しました。
その一方で、各国政府からも、公的な第三者機関を設立してアンチ・ドーピング活動を実施することの必要性が指摘されていました。時を同じくして提起されたスポーツ界と政府の動きが一つとなり、1999年11月10日に「世界アンチ・ドーピング機構(WADA)」が設立されました。アンチ・ドーピングの統一ルールである「世界アンチ・ドーピング規程(Code)」が、2003年のアンチ・ドーピング国際会議(コペンハーゲン)で採択され、2004年のアテネ・オリンピック競技大会は、Codeが適用された初めてのオリンピック大会となりました。
現在、Codeとそれに紐づく国際基準をもとに、WADA、IOC、国際パラリンピック委員会、国際競技連盟、国内オリンピック・パラリンピック委員会、国内アンチ・ドーピング機関、主要競技大会組織委員会等が、世界的な枠組みの中で相互に連携しながらアンチ・ドーピング活動が推進されています。

アンチ・ドーピングの世界的な連携

アンチ・ドーピングにおける課題の変遷と、それらに対する対応

1999年にWADAが設立されてから、社会の変化と並行して、アンチ・ドーピングにおける課題も大きく変化してきました。
当初、スポーツにおいて禁止される物質や方法について専門的な知識を要することから、アンチ・ドーピングは医学的な領域として捉えられ、医師を中心にアンチ・ドーピング活動が展開されていました。その後、Codeの改訂によるルールの高度化、複雑化に伴い、法務的な領域に対応する弁護士が関わるようになり、近年では、組織的なドーピングへの対策や、様々な情報収集(インテリジェンス)活動のために、警察官や捜査官との連携も行われるようになりました。
現在のアンチ・ドーピングは、社会やドーピングの変化に応じて、スポーツ以外の領域とも連携しながら、実効性のある活動を行うことが求められています。

日本国内のアンチ・ドーピング推進の歴史

1964年 東京オリンピック競技大会の際に開催された「世界スポーツ科学会議」において、日本国内で初めて、ドーピングが公式の話題となりました。
1985年 神戸ユニバーシアード競技大会を契機に、三菱油化メディカルサイエンス(三菱LSIメディエンスの前身)が、アジアで最初の分析機関として設置されました。その後、WADAの設立に伴い「WADA認定分析機関」として引き継がれ、現在も、オリンピックを始めとする国際競技大会が数多く開催される日本において、非常に大きな役割を果たしています。
1999年 WADA設立。設立当初より、政府側の理事兼アジア地域を代表する常任理事として、日本の文部科学副大臣が就任しており、日本は、世界的なアンチ・ドーピング活動の枠組みにおいて重要な役割を担っています。
2001年 日本国内におけるアンチ・ドーピング活動のマネジメントを行う機関として、「日本アンチ・ドーピング機構(JADA)」が設立されました。これにより、日本国内で、ドーピング検査、教育・啓発活動など、世界標準のアンチ・ドーピング活動を可能とする体制が整備されました。
2007年 ユネスコ「スポーツにおけるドーピング防止に関する国際規約」発効を受け、文部科学省により「スポーツにおけるドーピングの防止に関するガイドライン」が策定されました。このガイドラインでは、世界アンチ・ドーピング規程に準拠したアンチ・ドーピング活動の実施を求める内容が記載されています。
2011年 スポーツ基本法が施行。スポーツ基本法の基本的施策の1つとして、ドーピング防止活動の推進が記載されています。
2013年 2013年より施行されている高等学校学習指導要領の保健体育において、「オリンピックムーブメントとドーピング」が指導内容として明記され、全ての高校生を対象にアンチ・ドーピングの理念について教育を行うこととなりました。
2017年 独立行政法人日本スポーツ振興センターより「ドーピング通報窓口専用サイト」が開設されました。
2018年 日本で初のアンチ・ドーピングの推進に関する法律「スポーツにおけるドーピングの防止活動の推進に関する法律」が施行されました。
また、国内のドーピング検査活動のさらなる独立性と中立性を確保するため新たにアンチ・ ドーピング体制審議委員会を設置することとなり、日本スポーツフェアネス推進機構(略称 J-Fairness )が設立されました。